「白堊歌会RURU」 2020(令和2年)11月作品
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夕焼け雲に沿うように
飛行機がゆったりと旋回し
コロナと熱中症の夏は
いつの間にか
秋へと変わったらしい
ろろちち
目を閉じると浮かぶ
秋葉原のふれあい橋
夢中で歌を詠み
皆が燃えていた
あの頃、私も若かった
伊奈 裕
十月に
咲きそろひたる
彼岸花
雨なき酷暑
凌ぎ赤冴ゆ
吉田美雅子
黄葉ふりつむ静かな日々
遙かなる職員室
飛び交う若い先生方の会話が分からなかった
ホットサーティワンドルチェ
ダッフィー&ステラルー何ちゃら
はま栗
コロナウィルスは
連れてくるだろう
ソーシャルディスタンスを
跳び越えてくる
うたびとを
田川宏朗
私を
「きいちゃん」とよんでくれた父と母
今は亡く
「そうは言っても お義母さま」と
のし歩く 嫁がいる
瀧津泉
I WANT YOUR LOVE
花金の
駅
フェロモン
懐かしき女《ひと》あり
村谷 尚
Once in a blue moon
ハローウィンの夜はブルームーン
天空より
地上の魑魅魍魎を
やさしく見守っていた
だいてんち
*次回は2月
「白堊歌会RURU」 2020(令和2年)9月作品
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ノーマスクは
契りなのか
部活Tシャツたちが
盛りあがる
駐車場
田川宏朗
また鯉の
屍が浮かぶ
石神井川!
最後に見しか
ヘドロと青空
村谷 尚
夜の観覧車
月の光に包まれる
夢のように過ぎていった
時間を思い
無言になる友と私
瀧津泉
今朝もまた
見える筈のない朝陽が
向かいのビルの窓に反射して
熟睡できなかった不満を
いっとき相殺してくれる
ろろちち
容赦なき
複合災害
窓を打つ
強き風雨に
たびたび目覚む
吉田美雅子
お盆の前は
あちこちで
ウーウー グァーグァー
草刈機の音で
にぎやかになる
青山すみれ
訪う家族もなく
静かな盆の夜
ペルセウス座流星群に
願かける
隣人の蜜できる
山田武秋
片付けに追われ
今日もランチは
山田うどん
埼玉のソウルフードとは
いうけれど
はま栗
心許ないリーダー
自己保身の医療官僚
市民に寄り添わない保健システム
官尊民卑の国では
自分の身は自分で守るしかない
だいてんち
情熱をかけて
活躍していた
若き日の自分
鮮明に甦った記憶
あのとき私は主人公
伊奈 裕
*次回は11月
田川さん、ご無沙汰しております。本誌でお元気でご活躍の様子は拝見しております。
そういえば、五行会の全国大会が盛岡で開催されたのですね。きれいな岩手山も顔を出し、
よかったですね。
盛岡市は、岩手山が見える日と見えない日で価値がぜんぜん違います。岩手山が見えなければ
啄木が不在のような、腑抜けた街になってしまいます。
よろしければ、これからも時々きて、歌を置き、刺激していただければ助かります。
私自身は、啄木関係の出版と研究および普及活動で、啄木漬の日々をすごしております。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
便利なつもりの
ネット通販
日がな荷物を待って
外出もままならず
一日を棒に振る
こんにちは 東京の白堊五行歌会にお邪魔させて頂きました田川宏朗と申します。
その折は大変お世話になりました。秋葉原の和泉橋区民間近くを通るたび、なつかしく思い出されます。
今月10日,11日に、五行歌の会の全国大会がホテルメトロポリタン盛岡で開催されました。
盛岡に近づくと山頂に新雪を戴いた岩手山が車窓から望めました。
シックな容姿
代赭色のスーツ
白銀のベレー帽に キュン☆
はじめまして
岩手山
白堊同窓会をはじめ盛岡の方々が岩手山を大切におもう心情に共感できた瞬間でした。
お邪魔しました。
軒先にホタルブクロのありし家、更地になりてタデのみ寂し
天罰か石神井川に都鳥なかなか来ないよ苛立つ霜月
しじみ蝶、インディアンサマーに集いては良い知らせなのかフワフワ談笑
落ちだしたかりんの果実の熟れ酒を舐めるはネズミかカラスあたりか
「白堊歌会RURU」 2019 (令和元年)11月作品
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かえり花
アガパンサスの
薄青を
暮秋に拝める
うれしさかな
村谷 尚
迷ふれど
母の看取りに
サインする
おぼろに見える
十五夜の月
吉田美雅子
「聞いてない」
「言ったけど」
が増えてくる
秋も深まり
70代
青山すみれ
走るほどに
沿道の木立が
紅くなっていく
東北道を
北へ向かう旅
山田武秋
爛漫に咲いたくちなしの
最後の一輪を観ていたら
通りすがりの若夫婦が
「こんにちは」とあいさつ
花の効用か
伊奈 裕
400年前
幾千の魂が天に昇った
西首塚 東首塚
関ヶ原町
陣跡にふくらむ武者幟
瀧津泉
9月25日、精密検査の朝
昨日までの
あの勢いの入道雲が姿を消し
空の果てまで続く
なんと爽やかないわし雲よ
ろろちち
決勝の朝
岐阜にゆく
応援バスの出発待ちて
吹部チア部の
生徒ら華やぐ
はま栗
燃える情熱と湧き上がる歓声
みなぎる力にほとばしる汗
国や民族を超えたスクラムから
楕円のボールが
勝利と喜びを送リ出す
だいてんち
*次回は2月
停電の千葉に還暦同窓がボランティアするも「イイネ」押すのみ
窓際ですることもなく雲ばかり眺めていても僅か二分か
地上げらし虫食いのよう空き地増し群生すタデの赤に染まるか
志岐さん、ありがとうございます。水沢の国立天文台水沢観測所が日本代表として
参画し世界初のブラックホール撮影に成功したことで、理論上存在すると言われていた
ブラックホールの実在が証明されたとされています。理論上は、現在の膨張宇宙も
いずれ収縮するということも、可能性の一つと考えられているようですが、多分、
人類がそれを確認できる確率は極めて低いと思われます。それでも、なのか、
だからなのかよくわかりませんが、その先は哲学者の出番になっているようです。
たとえば西田幾多郎の「場所」の論理は、ビッグバンの前について、一つの考え方を
示しているように思います。つまり「場所」とは「無限の有を含む」とされますが、
この考え方に従えば、ビッグバンも「(絶対)無」も場所から起こったということに
なります。この考え方は多元宇宙(無数の有)を導くものですが、ポイントは「無」
とは「有無」の「無」ではなく「場所」であるとしたことです。
「空っぽのなにもない場所、妨げるものがなにもない場所」。妨げるものがないから、
ビッブバンも可能になるという寸法です。この考え方に立てば、ビッグバンの前に
あったものは「場所」ということになり、その後の膨張宇宙も「場所」のなかで
展開されている運動の一つ、ということになります。また、この「場所の論理」は、
宇宙だけでなく、すべての存在に適用される。たとえば「私」も「場所」のなかで
存在し、活動できているということになるかと思います。西田のこの哲学は仏教の
「無」や「空」の考え方を西洋リベラルアーツの論理、用語でどう表現するか試行錯誤
の上、到達した境地のようです。福岡伸一など、今、西田幾多郎を再評価する機運が
高まっていますが、その背景には、志岐さんがご指摘のように、キリスト教的世界観の
限界が見えてきて、それを超える世界観を模索しているかrだと思います。ただ、
文系の私は、西田哲学にしても妄想を膨らませることができても、推論が正しいか
見当はずれなものか、検証する術がありません。志岐さんのように、数学的、合理的な
思考の基本ができている方とこのような話題を交わせることは、たいへん勉強になります。
これからもよろしくお願いいたします。
多分おっしゃる通りでしょう。130億年前の我々の銀河の姿と見ているのでしょう。
ビッグバンの前には何もない。これは、車いすの科学者ホーキング博士の解釈。
彼の著書"HIsitory of Time"に書かれている内容です。膨張する宇宙。
時間を逆に進めれば最後は一つの点に収斂してしまいます。ビッグバンが実際に
あったであろうことは宇宙背景放射からもほぼ実証されています。でも、その前は
どうか。誰も分かりません。数学で言う特異点問題。解析譜能です。でも、
ビッグバンの時には宇宙は点であったかもしれませんが、膨大の無限大の質量を宿す
宇宙の種だったとすれば無から有が生じたとも言い切れないと思います。時間の話も
虚数まで考えるとうまく説明がつくということもあるらしいけど、私には到底理解
不能です。ただ言えることは西欧的世界観、特にキリスト教的世界観はもう時代遅れに
なって来た可能性はあるでしょう。
2〜3日前、130億光年先の最遠の原始銀河団が発見されたというニュースがありました。
これはつまり130億光年昔の原始銀河団を観測したということになりますよね。
そうすると、現在の我々が属する銀河が、その原始銀河団が成長し、
進化した一部という可能性はないのでしょうか。すくなくとも、可能性ゼロとは
言えないと思いますが。
それと、ビッグバンの説明で、ビッグバンの前はないもない(時空はビッグバンによって
生まれたから)ということで、明快といえば明快ですが、この説明はどこまで科学者に
認知されているのでしょうか。何もないところから何かが生まれる、
つまり無から有が生じるという命題は、西欧社会においては論理的矛盾であり、
ありえないことであろうかと思います。そのあたり、現代物理でも数学でも、
論理学でもいいのですが、どのように説き、クリアしているのか、あるいは
クリアできていないのか、教えていただければうれしいです。
都合よき女《ひと》を天使と呼ぶ我は真の天使の声を避けるか
長男のスマホの写真は動物のみ人間不信か?問えども答えず
盛岡もエアコン頼る温暖化!欧州真似て子等よデモしろ?!
人こわす自然に拠れずリベンジを恐れ酷暑に自転車をこぐ
うつの妻、動かず家事に追われては会話もなかりし我は家政夫
志岐 明さん、「白堊歌会の部屋」へようこそ。
時事川柳、短歌、なかなか切れ味鋭いです。
今年は、猛暑のせいか、蚊がほとんどいません。
その代わりかどうか、蜂が大量発生しているらしく
この夏、二度も刺されました。
セミは、どうでしょう。今夏はうるさいと思ったことが
ありません(気がつかないだけかもしれませんが)
いずれにしろ、生態系がだいぶ変わってきたことを
実感する日々です。
また、鋭い作品をお願いいたします。
> 温暖化クマゼミの声北上す
>
> ザリガニよ絶滅するな頑張れよ 帰化動物とて貴重な自然
>
> 用水路 ドジョウ掬いは 過去の事 農薬漬けの沈黙の夏
>
> 蝙蝠もいないと困る団地の夕暮れ 蚊に刺されるのは小さな子供
>
> 静けさや脳に染み入る蝉の声 ヒグラシかな カナカナカナ
温暖化クマゼミの声北上す
ザリガニよ絶滅するな頑張れよ 帰化動物とて貴重な自然
用水路 ドジョウ掬いは 過去の事 農薬漬けの沈黙の夏
蝙蝠もいないと困る団地の夕暮れ 蚊に刺されるのは小さな子供
静けさや脳に染み入る蝉の声 ヒグラシかな カナカナカナ
「白堊歌会RURU」 2019年(令和元年) 8月作品
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長梅雨の
気うつを払ふ
ごと白き
カサブランカが
庭に際立つ
吉田美雅子
手作りの
惣菜よこす
癌の母
孫に命を
渡し続けり
村谷 尚
唐突に
「こう子」と言う名の友思い出し
漢字嵌めるも ピント来ず
あれこれ考えあぐね
疲れてどうでもよくなった
ろろちち
病いのおかげで
見えないものが見え
友との衝突により
人としての処し方を学ぶ
苦しむたび強くなれた
伊奈 裕
夏の農協の
素晴らしさ
藤枝バンザイ!
見渡す限りのいちじくに
思わず合掌
はま栗
夜の川床
貴船の森
人々は牛鍋囲む
七夕飾り揺れ
天には星
瀧津泉
腰にぶら下げる刈払機を
マシンガンに見立て
スロットル全開で振り回す
薬師丸ひろ子の
カイカ〜ンのノリで
山田武秋
穏やかな北上川や
豊かな緑が
涼を
届けてくれる
ここ岩手
青山すみれ
灼熱の
コートに響く
打球音
ラケット越しに
陽炎が立つ
だいてんち
我が一票こたびも死票!バルザック=王党派なりき政治音痴ネ
圧勝の与党に入れるはどんな人?税、保険料増え手取り減るに
金あまりなぜ投資のみ?ばらまけばいいだろ幾らか、必要な人に
来週は皆勤しないと有休残少なくなりて老骨苦し
四十年、十分勤めた隠居したい。されど金なし年金まだ先
メルマガに会社の情報盛りこめど傍を楽にはしないカスかも
経済も人も増すのが前提の制度は改め若きに託せ、か
リベラルが終わった後はどこへ行く?ポピュリズムだけで安定するか
リアリスト!処分が怖くて切実な学費値下げのデモせぬ長子
凡夫みな政治に係わり不毛なり。君子危うきに近づかぬがよし
志岐明様 ネット社会をよくとらえていますねぇ。
最近の若い人たちは、誕生したときからネット社会で、おもちゃ代わりにスマホをいじっていますから、ネット万能と思い込んでいるふしがあります。でも、ネット情報は真実を織り交ぜた、ガセネタ(嘘・まやかし)がいかに多いことか・・・ 紙媒体の大切さをわかってほしいですね。
初めは、人がネットを考えた。
そのうち、人はネットで考えるようになった。
今は、ネットが人の代りに考える。
ネットに相談すれば答えは出るよ。
自分の頭で考えてはダメですよ。
こんな句で良ければ投稿します。
堀船に残りし枇杷よな熟《うれ》そ我を癒せよ鳥に食われず
我が町にみな外人の現場増え同化するかと不安になりき
五十路にてレオタード着てスケボーすM女医の来ぬ飲み会即去る
バス停の下のめんこい野の花よ吾《あ》をたしなめるか遅延に苛立つ
「白堊歌会RURU」 2019(令和元年) 6月作品
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ネモフィラの
友の絵手紙
受け取りて
四月冷えこむ
午後のゆたかさ
吉田美雅子
平成、令和の
皇室発
「思いをいたす」
慈悲深く優しく染みる
美しい日本のことば
ろろちち
すみれ踏みつつ交通整理
『お早う』って200回言った
自転車の子らに
『一時停止よ〜
ヘルメットつけて〜はいねー』
はま栗
最北端の地、稚内
海の先にかすむ
望郷の地サハリン
引き揚げ船の赤ん坊も
今や70歳を超える
伊奈 裕
食、性、生と死
皆が思い煩っているものを
書いていくという
芥川賞作家沼田真佑氏
発想の秘訣は歩くリズム
青山すみれ
人口減少に加え
AIの進歩で
急激に歳入減となる所得税
ロボット税が
導入される日も近い
山田武秋
ほたる ひとつ
屋根の下
もう 帰れない
仲間たちの
いる闇には
瀧津泉
緑深き渓谷
せせらぎに光る銀鱗
子らの歓声と水しぶき
のんびりと眺める
初夏のひと時
だいてんち
百千鳥
同期のように
減りゆけど
終わりてなお生く
季節も我も
村谷 尚
*次回は9月
高熱のなか子がために弁当をつくれば往時の母の苦を知る
とにかくに生きるしかなく子の弁当作り見送り萎れて出社す
妃殿下に投石少年かつてあり!令和の格差の伏流見えず
落ち椿リストラのビルの内と外、当事者の痛み誰が知るらん
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